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1 デザイナー時代は「亜己ヒロミ」 [☆ドクターマーラー(デザイナー時代)]

以前、私akoは

Dr、Mahler「ドクターマーラー」というブランドを運営し、
デザイナーズブランドとして東京コレクションでも活動していたデザイナーでありました。
デザイナー名は「亜己ヒロミ」と名乗っていました。

代官山に直営ショップと西麻布にアトリエを持ち、「インディーズブランド」とか「ストリートファッション」とか「クラブファッション」という言葉が生まれたきっかけになったブランドの一つでした。

他分野のアーチストとのコラボレーションショウ(音楽や、演劇的表現、ダンス、能、映像など)を
やり話題にもなりました。

その小さな個人ブランドが「メジャーデビュー」し東京コレクションで発表出来るという事は、
もしかするとすごく幸栄で夢の様な凄い事??かも知れませんが、
当時の私の気持ちは、実はあまり嬉しくなかった!
今だから本当の事が言えますが、いやいやでした。
なぜ東京コレクションに出たか?  
当時 ヨウ○ヤマ○○、コム○ギャル○○のデザイナースタッフに
(ブランドの顔の方々はデザインをしませんので)デザインを盗まれ発表されてしまったり、

下北沢あたりでコピー製品が出回ったりしたので東京コレクションで発表すれば、
そのような品格の無い行為は無くなるかと思ったわけで、けど結果は同じで、
私の消耗はひどいものでした。

競争意欲とか出世欲とか、金銭欲すらあまり無い私は、
自分の活動の場が脅かされなければ良かっただけの事でした。

今だから言えますが
私のデザインの発想はすべて立体映像として頭の中に完成像が降りて来ます。
その映像を平面にデザイン画として置き換え、現象化する作業をします。
(デザイン画、立体裁断、トワル、平面製図、型紙、素材選び、付属選び、仮縫い、サンプルUPなど)

半年分のデザインは1日の中で15時間ぐらい使って何十体も書き上げます。
そして青山BOOKセンターで海外のファッション雑誌をパラパラとほぼ全部見ます、

これは、多くのデザイナーがやる「盗みアレンジする」行為ではなく、
私の場合は、自分に降りて来たデザインが、「ダブリが無いか」つまり「バッティングが無いか」
を探す為でした。

似た者が見つかれば、自分のデザインは没にします。

ところが1995年以降デザインが降て来なくなり、
ファッション業界の衰退と自己に降りてくるエネルギーのファッション的表現の終焉を感じ、
あっさりとブランドを閉めました。

これが本当のいきさつです。

たくさんのファンの方々と、応援、援助して下さった方々へ、
今、本当にお礼を言わせて頂きます。
ありがとうございました。そしてごめんなさい。

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