瞑想について、瞑想とは何か? [☆高次元からのメッセージ☆]
瞑想は無心の状態 |
瞑想は「こうあるべき」という事はありません。
瞑想は、座っていても、立っていても、寝転がっていても、
いつでも瞑想は出来ます。
瞑想は中味が一切無い純粋な意識の状態なのですが、
通常、人の意識はたいがい、ガラクタで一杯です。
心は、途絶える事のない交通です。
思考が動き、欲望が動き、野望が動き、記憶が動き、
朝から晩まで、起きている時も、眠りについている時でさえも、
心は動いている。
考え、悩み、心配事や、心労の中に心は浸っているのです。
これは、瞑想なき状態です。
瞑想は、これと真逆の状態で、思考の交通がストップし、
欲望が動かず、沈黙している状態、これが瞑想です。
瞑想とは、無心の状態です。
瞑想こそが自然な状態 |
心を通じて、瞑想を見出すことは出来ません。
なぜなら、心はそれ自体を永続させるから、無心にはなれないのです。
心を脇に置くことによって、はじめて瞑想を見出す事が出来るのです。
思考を自分と離して、客観視すること、
冷静に、無関心に、心と同化することなく、
心の姿を見ることによって瞑想は起こります。
「私は心ではない」と気づいていること、
その覚醒が深く、深くなっていった時に、
しだいに行くつかの瞬間がやって来ます。
和尚ラジニーシの御言葉 |
静寂の瞬間。
空の瞬間。
透明な瞬間。
自分の内になにものも動かず、あらゆるものが静止している瞬間
そうした静止の瞬間こそ、あなたは自分が誰なのかを知る
そして、この存在の<神秘>を知る
ある日、偉大なる祝福の日がやって来る
それは、瞑想が貴方の自然なの状態になる時だーーーー
子供の目の中に無垢を感じる |
子供は、一人一人、無垢な状態で生まれて来ます。
瞑想的な綺麗な目をしています。
しかし、彼等は、社会のやり方の中に加入させられなければならないのです。
社会のルール、計算、判断、議論、言語、概念、などを教えられなくては
ならないのです。
そうしている過程で、次第に自分自身の無垢との接触を失い、
社会の中でもまれて、汚染されて、一個のパーツの様な効率的な機械の
ようになります。
そこで、心に沢山のガラクタをため込む訳です。
しかし、大切な事は、もう一度、無垢の棲むスペースを空けて上げること、
わたし達はみんな、かつては、それを知っていたのですから、
瞑想を取り戻し、大いなる真実の感覚を、自然な感覚を
無垢な感覚を取り戻す事、思い出す事が重要です。
その上で、心の在り方、やり方を学ぶ、という感覚を持てれば、
無垢で楽しい現実を創造出来ると、筆者はお伝えしたいと思います。
亞古のブログ「IKIIKI」ホリスティック幸せ情報!より↓https://www.ikiiki88.work/